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楽器を鳴らす、ということを考えながら弾いていると、やはり脱力ということが避けて通れないんだな、と思うこの頃。
先生はあまり脱力、という言葉は使わないのですが、たとえば、広い会場の一番後ろの席に座っている人に届く音はこんな音だ、といって出す音というのは、一言でいうと脱力した音・・・。
脱力というのは基礎であり、応用であり、美しい音の最終形でもある・・・違うかな・・?
練習中のメンデルスゾーンのpresto agitatoはあと2ヶ月ほど弾く予定です。
スピードを上げていくとなんだかこの曲の美しさが消えて、2拍子の応援歌のようになってしまい(汗)、もう一度ゆっくりからやり直したり・・・それでも先生の助けを借りながら、この曲の全体像が整いつつあります。
この曲はやはり深さとか重さとか厚みとかそういう方向ではない美しさで、しかもprestoで表現するのは私にはなかなか大変なことだなと思います。
話は変わって、以前音が見えたレッスンの記事を書いたことがあります。
その時のレッスンでは、自分で弾いている音が自分のコントロールを超えて鳴り響く、ピアノの弦の共鳴というのか倍音というのか、自分の想像を超えた音が響いて、弾いている本人が“うわ~どうしよ~”と思ったのを強烈に覚えています。
そのときは前回先生からアドバイスされたことをひたすら念頭に置いて音を出していたのですが、楽譜の向こうに見えるピアノの弦の間から音があたかも立ち上るかのように見えました。
楽器を鳴らす、というのがあのときの状態をいうのであれば、それは貴重な、感動的な体験でありました。
あたかもピアノが生命力をもったかのような・・・。
そして弾き終えた時、先生が発したのは音に対するお褒めの言葉・・。
良いところを見つけて褒めるのがとても上手な先生ではありますが、後にも先にも、あれほど手放しで音を褒められたことはありません。(”後”にないのはかなり問題だと思うけど・・)
楽器を鳴らす、楽器の持つ能力を最大限に引き出す、ということがピアノだけに限らず楽器を弾くものの使命である、これは間違いないことです。
しかしながらそこへ到達するには、やはり段階が必要です。
特に私のように才能のないものは、才能のある人が当たり前のようにできることを、何年もかけて身につけていかなくてはならないのです。
私がピアノの先生に必要な資質の一つと強く思っているのは“忍耐力”ですが、先生は生徒が育つのを待たなくてはなりません。教える中で生徒に気付かせる、生徒が気付いた時が次の段階の始まりとなる・・・この繰り返しで生徒は力をつけていくのだと思います。
5年半以上(5年という節目もいつの間にか過ぎてました・・)というレッスンを振り返ると、現在と昔では先生が私に求めるものは確実に違います。つまり、以前は敢えて要求しなかった・・その時が来るのを待っていた、ということです。
その一方で、一貫して、繰り返し繰り返し言われ続けていることもあり、昔の楽譜に書かれていることを見て、「こんなに前から言われてたのか・・」と申し訳なく思ったり・・(汗)。
「3年前に先生が言ってたことがやっとわかりました!」などとぬけぬけと言う私・・ピアノの先生って忍耐強くないとできない職業ではないでしょうか・・。
何年か後を見通して育てていく・・気が遠くなるような作業だと思うこともあると思います。
それができる先生というのはすごいな~と・・そして私はそういう先生の元でピアノを弾くことができて本当に幸せだなと思うのです。
習い始めた当初から、あなたの音はダメだ、と本当のことだけどその頃の自分には何をどうしたらよいかわからないことを言われ続けていたら・・・今の自分は無く、そしてあの感動的な音との出会いもなかったのでしょうね・・。
ずっと左上のプロフィールを更新していなかったのですが、チェルニー40番もフランス組曲もお休み中、再開予定無し!の為、削除しました。
チェルニー40番はあれほど情熱(!)を注いでいたのですが、進度やレッスン内容に関する中傷めいた言動にうんざりしてあっさりと辞めました。
現在は課題曲1曲、プラス ハノンという内容です。
ハノンはずっと前にレッスンする予定も無いのに全音の楽譜を手に入れていたのですが、なかなか独学では進まなくてまっさらなまま本棚に眠っていました。
課題曲でのある弾き方のコツをつかむために、ハノンから抜粋してその弾き方を集中的に練習するという使い方をしています。
こういうレッスンを受けていると、独学ではおそらくがむしゃらに弾いていただけだっただろうと思い、つくづくレッスンを受けていて良かったと思います。
チェルニーの使い方も人それぞれだと思います。
私がチェルニーを練習していて気付かされたのは、美しい音を目指すことがテンポアップにも繋がる、ということ。美しい音、適した音、より楽にコントロールできる音、音のまとまり、音のつながり、そういったことを考えながら音を出すことが、結果として速く弾くことができるようにもなる。
もともと私は指が回らないので、速い曲は苦手としていました。
そんな私でも、ここ1年ほど“速い曲に挑戦してみたい”と思い、いろいろと挑戦しました。
以前なら全く歯が立たなかっただろう曲が、音を重視したレッスンを続けるうちに少しずつだけど手が届くようになっているんじゃないかと・・。
私がメンデルスゾーンのpresto agitato を嬉々として練習しているもうひとつの理由、それは無言歌集の中から次に弾く曲をいろいろ探していた時に、先生のほうからpresto agitato を候補に挙げてもらったからです。
あっ・・私この曲弾いてもいいんだ・・(涙)
無言歌集の中にpresto agitato が入っているのは知っていましたが、presto っていうくらいだから私にはむりだな、と弾きたい気持を抑えていたのですが、思いがけず先生のほうから言っていただきどれだけうれしかったことか・・。
継続は力なり、とはよく言ったものです。
人と比べる暇があるなら、自分が求めるものを信じて前に進みましょう。
メンデルスゾーンの無言歌集をやり始めて、presto agitato で4曲目となります。
以前「狩の歌」を弾いた事があるので、正確には5曲目。
今まで弾いた曲はどの曲も美しい曲ばかり。
正直、メンデルスゾーンには深みがないというのが今までの私の印象で、無言歌集をやるというのもロマン派の歌い方の勉強、ということで、期待度は高くなかったのですが、いざ何曲か弾いてみるとその美しさにはっとさせられることが何度もあります。
それまでの美しさが凝縮するような瞬間があったり、心が洗われるような美しい和音にたどりついたり、繰り返しの末に異なる美しい世界が垣間見えたり・・・。
この人の美しさは美しさの高みへと、深さとは逆方向に向かっているのではないか、そう感じています。
で、弾きながら感じるその瞬間の美しさや、美しい和音にたどりついた感動、そういったものを表そうとするととても難しい・・。
音楽は絶えず動いている、その流れにうやむやにされずに美しさを表現できるか、特にpresto agitato では難しいことのひとつかもしれません。
今年も残すところあと3日となりました。
忙しい日々も落ち着いて、来年からはピアノも完全復活できそうです。
このところ練習がほとんどできなかったのでレッスンに行くのはさすがに気が重かったですが、それでも毎回行ってよかったと思えるレッスンをしていただいて先生には本当に感謝感謝です。
レッスンに行って、先生の音を聞くというだけでも勉強になりますし、またレッスン曲も短くて音の少ない曲を進度を遅めにじっくり、という感じだったので、今まで何度も言われてきたことをいかに自分の音に映せるかということに取り組むには良い機会だったのかもしれません。
音が少ない、いわゆる簡単な曲を弾くのはごまかしがきかなくて却って難しいこともありますが、そういうことに対する怖さも少しは克服しつつあるのかな、と思います。
来年の曲はメンデルスゾーンの無言歌集から Presto agitato の予定です。
美しくて美しくて、譜読みをするのが楽しいです。
あとは Presto で弾けるかどうか・・(笑)
よいお年を・・♪